グローバル論考(競争より共生)@LA
こんにちは。南カリフォルニア大学派遣生のJです。最初の頃は治安が悪いという言葉の形成するイメージに振り回されてビビりながら生活していたのですが、少しずつ人との出会いが増えてきて、肯定してくれる人達や助けてくれる人達の優しさに触れながら、だんだんとこの場所が好きになってきています。
私は、人が何をしたか、ということよりも人が経験から何を考えたか、ということに興味があるので、後者に重点を置いて書きます。あまりに抽象的な駄文にお付き合いいただくことになりますが、ご容赦ください。(ツッコミ大歓迎です)
さて本題ですが、“グローバル”に物事を考えるということはどういうことなのでしょうか。一般的に“グローバル”な視点と言われたときに、「競争」の側面が強調される場合と、「共生」の側面が強調される場合があると思います。前者は、主にはビジネスの発想でしょうか。自国、自分の会社の利益を上げるためには、世界のライバルも視野に入れて活動しなければならないので、フィールドを広げた戦略を練らなければならないのは、必然でしょう。医療人としても、国際的な舞台で活躍することを視野に入れるのならば、ある程度の競争からは逃れられないのかもしれません。しかし、果たしてそれが全てなのでしょうか?私は、全ての土台に「共生」があるべきだと思います。他の文化を尊重すること、偏見をもたないよう努力すること。「共生」が先、「競争」が後です。
私のラボメンバーKちゃん(アメリカ人、シニカルな笑い多め、器用で頭もいいのに言動が面白くて大好きです)の言葉で印象に残ったことがあります。「私の好きなジョークがあるんだけど。『アメリカ人はバカ。他の国の人は学校で英語を勉強するから少なくとも2か国語は勉強できて賢い。トラ〇プはク(以下略』」と彼女は言います。ジョークなので誇張した表現であり、雑な表現で、アメリカ人がバカだとも複数言語を勉強することが賢さに直結するとも思いませんが、私はそんなこと考えたこともなかったので、視点が新鮮であり、何より外から来た人たちをそのような目で見てくれていることに感動しました。拙い英語で会話をしようとする私への優しさともとれました。私だったら間違いなく英語が母語でラッキー!で終わっていたと思います。
また、初対面の人に”Where are you from?” というやつ、定番ですよね。
基本的には「両親が韓国人で、韓国で生まれて日本で育ったよ。」といちいち丁寧に説明するのですが(趣味関係の人に少し話しかけたときは無意識に“I’m from Japan.”と言っていてそれは自分の中で面白い発見でした。趣味の影響を受けた土壌は日本なので) 、嬉しいのが、今まで会った人達は大抵、両方の話をふってくれるということです。どちらに決めてもその人の意思が尊重されるべきだと思いますが、私の場合はどちらにも決めきれないので、どちらにも決めきれないこと、〇〇人の枠に収まりたくないことが、肯定されているような気がなんとなくするのです。実際、カリフォルニアには移民が多く、人種もさまざまです。生まれと育ちが異なること、複数の文化の影響を受けている可能性のあることは、当たり前なのかもしれません。以前に乗ったUber(タクシーみたいなアプリ)のおじさんは韓国系の移民二世で、韓国語も上手でした。上の階のラボの人は、中国→ベトナム→オーストラリア→アメリカと移民してきたらしく、”Where are you from?” と言われても困ってしまうと言っていました。これはまた別件ですが、別のUberのおじさんは、中国から出稼ぎにきていて、仕事を見つけるのに言語がハードルになっているらしく、「人生つらいよ」って言ってました。わかる、人生つらい。
また、自分の考えが甘かったと反省することもあります。自分が留学生と言うと「この場所(ロサンゼルス)はどう?好き?」と聞かれることもあるのですが、まだ到着して間もない段階でついうっかりロス育ちの人に「好きだけど、治安がちょっと心配。」と答えてしまったことがあります。「でも、日本にも人がいなくて危険な場所はあるでしょ。気をつけて場所を選べばきっと大丈夫だよ。」と言われました。自分が逆の立場だったら、自分の思い入れのある土地のことを、自分よりも知らない人に印象で悪く語ってほしくないので、かなり反省しました。
なぜ、このような記事を書くに至ったかというと、過度な競争が助長する選民思想とでもいうべき一種のelitismが共生の観点を持つことを邪魔して結局は殻に閉じこもってしまう構図を感じることがあるからです。異国では、母語でない言語を日常的に使うストレス、知らない世界に対する恐怖が伴うこともあると思います。けれども、理解できない人たちを「自分とは違う人たちである」と線引きをしたり「自分たちの方が優れている」という感情で処理したりしてしまうのは、結果的に自分の世界を狭めてしまうことであり、もったいないことだと思います。「留学に行けば視野が広がる」という言説は、私はある意味では合っていてある意味では間違っていると思います。生涯を日本で過ごしていても、言語が堪能ではなくても、他の文化的背景を持つ人を尊重できる人もいれば、他国で長い時間を過ごしていても差別感情を持っている人もいます。留学で視野を広げられるかどうかは姿勢次第です。
留学を初めてからもう一か月が過ぎましたが、残り5カ月間、研究も頑張りつつ楽しみつつ、できるだけ色んなひとたちとたくさん関われたな、と思います。何かあれば気軽に連絡ください!^^
写真がないのも寂しいので、最後にかわいいアイスの写真貼っときます!
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